2007年8月の初め、日本から小田さんと藤野さん(どちらも仮名)が鄭州へ来ました。二人は先輩であり、仲間であり、一時帰国中に八卦掌や太極拳を教えた生徒でもありました。日本と中国をつなぐ、中国伝統武術の架け橋になれたことを、私は誇らしく感じていました。
二人が着いた翌朝、ホテルへ迎えに行くと、藤野さんはもう起きていて、部屋のテレビで中国のニュースを観ていました。聞けば、すでに一人で外へ出て、新聞と地図を買って戻って来たというのです。自分が今どこにいるのか、まず確かめておきたいのだそうです。
私は、あえて何も調べずに来て、見るもの聞くもの、いちいち驚いて喜ぶ性分です。3年も中国にいて、新聞を買ったことも、地図を広げたこともありませんでした。同じ鄭州の朝を、こんなふうに見る人がいることに、衝撃を受けました。
(きっと、私の目に映る中国と、藤野さんの目に映る中国は、全然違うのだろう……)
そして、8月11日。三人で陳式太極拳の発祥の地、陳家溝へ行きました。長距離バスを案内し、途中で地元のタクシーをつかまえて、太極拳祖祠にお参りをして、村を歩きました。
二人が中国へ来た目的は、卜文徳老師に卜氏峨嵋刺を学ぶことでした。私から事前に卜老師に申し出たところ、今回は承諾してくださいました。
峨嵋刺は、両端のとがった鉄の棒の真ん中に指輪がついていて、中指に通してくるくると回す、小さな武器です。卜老師の指示を受けて、私が鄭州の武器の専門店に頼み、特注で作ってもらったものでした。
いつもの練習場所とは違う、目立たない場所で、数日にわたり、三人で卜老師から直々に峨嵋刺の指導を受けました。その中に、指に峨嵋刺をつけたまま、側転をする動作がありました。
「卜老師! 側転は二人には難しすぎますよ! 手加減してください!」
私はそう言いましたが、小田さんと藤野さんは、あっさりくるりと側転してしまいました。
(え? 側転って、意外と簡単なの?)
そう思って私も試してみると……、私だけ、できません。
怪我をしてもいい、というくらい思いきり何度も回ったのに、できませんでした。
朝から晩まで鍛えている私ができなくて、私とほぼ同い年の、日本で会社勤めをしている30代の二人ができるなんて。私のプライドが! と思ったので、「きっと私の腕が長すぎて、力が分散するせいだ!」と、自分で思うことにしました。数日後には、目標の年会(太極拳館が2年に一度ひらく大会)を控えていたので、小さなことで落ち込んでいる暇も、精神力もありません。それでも、側転ができなかったことは衝撃でした。
小田さんは、私が通い始めていたヨガ・センターにも、数日間だけでしたが体験受講しました。私がいいと紹介したものに迷わず挑戦する好奇心に、自分との共通点を感じて、少し嬉しくなりました。
あっという間に滞在の日々は過ぎ、二人は日本へ帰って行きました。空港で見送って、また一人になった私は、目指す年会に向けて、心を静かに燃やしました。
後日談
特注の峨嵋刺は、今も自宅の玄関の靴箱の下にしまってあります。
つづく