REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

差之毫厘 謬以千里

武縁

2008年10月1日、中国の大型連休である『国慶節』(通称『十一(シーイー)』)に、河南省の太極拳館で『十一提高班(シーイー・ティーガオバン/短期レベルアップ・クラス)』が開かれました。

私はもう、河南省を去る時期をいつにしようかと考えはじめていました。拳友の黄高飛(ホヮン・ガオフェイ)さんに強く勧められ、黄教練からも直接「メイダイヅは必ず参加するように」と指名されました。

(どうしよう……心はもう北京の八卦掌にあるのに、こんな中途半端な気持ちで受けてもいいのだろうか)

迷いましたが、ここまで取り組んできた太極拳を中途半端にしたまま河南省を離れるのは、嫌でした。これが最後の卒業授業だ。そう思って、参加することにしました。

期間は一週間で、午前2時間、午後2時間、計28時間、参加人数は20名ほどでした。

黄教練と私は、2005年の夏に同じ時期に太極拳館に来た仲でした。出会いは、その年に鄭州で開かれた国際太極拳合宿の交流会です。留学生として出し物を頼まれた私は、中国で人気がある歌だからと、千昌夫さんの『北国の春』を陳正雷老師の前で歌いました。ところがその歌は陳正雷老師の十八番だったらしく、会場は騒然。(やってしまった……)と青くなった私を、黄教練が見事な口笛と手拍子で助けてくれたのです。

あの時は、同じ学生でした。それが3年のうちに、黄教練は教える側になっていました。拳友に聞いた話では、もともとは機器の設計の仕事をしていて、「自分が本当にやりたいことは設計ではない」と家族を説得し、太極拳館の狭い寮に住み込んで、三十代後半から太極拳に没頭した人だそうです。拳書を読み込み、設計の経験を生かして、動きを人体の力学として捉えていたと聞きました。

提高班の一日目、黄教練は授業のはじめに、表演用の動きと伝統の動きを、両方やって見せてくれました。私たちが見よう見まねで動いてみると、あれ? 使う筋肉がまるで違うのです。参加者から感嘆の声があがりました。

私はそれまで、大会に向けて見栄えのする動きばかり練習していました。動きを大きく見せるぶん体力を使い、練習すればするほど疲れが抜けない。そのことは早くから感じていたのに、どう直せばいいのか分からず、自分なりに工夫しては挫折していました。教練たちには「動作はもうできている。あとは内面を練る段階だ」と言われていたのですが、それは弟子にならなければ教えてもらえないものだと聞いていたので、悩むばかりだったのです。その先を、黄教練は一般の提高班で、惜しまずに教えてくれました。

私には、太極拳の“単鞭”という動きの時に、わずかに右肩が上がる癖がありました。黄教練は、上がっている右肩ではなく、左足の重心の置き方と右股関節を直しました。そして、こう聞かれました。

「メイダイヅ、お前は一日に多い時で何回“老架一路”を練習していた?」

「毎日10回以上練習していた時期があります」

「老架一路には7回の単鞭がある。一日で70回、誤った練習をしていたことになる。それを十年続けていたら、取り返しがつかない……」

70回。十年。頭の中で数字がぐるぐる回って、体中が痛くなるような言葉でした。枝葉を見ても問題は解決しない。問題は幹と根にある。『差之毫厘,谬以千里(チャージーハオリー、ミウイーチエンリー)』、はじめはわずかな誤差でも、時を重ねれば大きな過ちになる。この提高班で私が学んだのは、この教えです。

提高班の中盤、私は黄教練に聞きました。「黄老師、どうしてこんなに深いことを、私たちのような一般学生に教えてくださるのですか?」。黄教練は「みんな、集まりなさい。メイダイヅが今、とても良い質問をした」と言って、こう話しました。

「メイダイヅは、苦労して太極拳を学んできた。私も同じだ。だから、本物の動きを学ぶことがどれほど難しいか、わかる。教えた学生が私のもとを離れても、いつかどこかで太極拳をやった時に、ふと私の教えたことを思い出してくれたら、それでいい。だから私は、自分の技術を隠さない」

「友人は私を“恐竜”と呼ぶ。もう絶滅した種のように、変わり者だから……」

黄教練は、遠くを見つめてそう言いました。(もっと早くこの人に習えていたら、私はもっと上達していただろうな)と思いました。

提高班の最終日、上海から学びに来ていた新聞社の記者に、記事にしたいと取材と撮影を頼まれ、受けました。

提高班が終わると、同じ参加者だった元社交ダンサーのおじさんに声をかけられました。「メイダイヅ、最後に大会に出場しないかい? 今月末に河北省の邯鄲市で太極拳大会があるんだ。邯鄲市は陳式太極拳のホーム・グラウンドじゃないから、採点は厳しいかもしれないけど、成績なんてどうでもいいじゃないか。若いのも2人一緒に行くんだ。たまには地方に遠征して、色々な流派の太極拳の仲間と交流してみようじゃないか!」

(成績なんてどうでもいい、か……)

河南省で最後の大会。私は、出場することにしました。

初出 2011年8月

つづく