REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

皮毛都学不到

北京・志強武館

2004年12月のある土曜日、私は陳項老師のプライベート練習会に参加していました。

あくまで練習会であって、正式な授業は志強武館で受けることになっているので、陳項老師のご自宅近くの公園に集まった仲間たちは、それぞれ自主練習に励んでいました。ただ練習後は立ち話をすることが多く、その日も陳項老師は一通りいつもの練習内容が終わると、おそらく太極拳の理論であろうお話を、真剣な口調でお弟子さんたちに説いていました。

私はもちろん「听不懂」(ティン ブ ドォン 聞き取れない)ので、聞くでもなく練習するでもなく、近くに立って、話が終わってみんなが歩き出すのを待っていました。

穏やかな日差しが差す12月の興隆公園の木立
12月の興隆公園の木立

しばらくして話を聞き終えた仲間が一人一人と帰って行くと、最後に陳項老師とマイケルさんが残り、私を含め三人だけになりました。

陳項老師は私を見ると、厳しい声で、

「◇#□%#◎ 太极拳 ○※&□◇#△ 皮毛 学不到 ◎△×%#※!」と話されました。

(??? なんだろう? 太極拳? 何か教えてくださっているのかな? ありがたいけど聞き取れない)

と申し訳なく思っていると、今度はさっきよりさらに強い声と身振りを加えて、繰り返されました。

私は(これはただ事じゃない、絶対聞き取らなきゃいけない)と緊張し、全身全霊を込めて言葉に集中すると、

「外国人、中国人、不理解、太極拳、ピーマオ、学不到、ピーマオ、学不了」

「不是、文化、要、理解、中国人、太極拳、ピーマオ、学不到!」

ところどころ単語が聞き取れたような気がしたのですが、意味が分かりません。

らちが明かない私を見た陳項老師は、ご自身の上着の袖をめくって前腕を私に見せると、皮膚を引っ張り、毛を指さし「皮毛」(ピーマオ)と説明してくださいました。

言葉より先に、その意味が頭に流れ込んできました。

「もし外国人が中国を訪れ、太極拳の動作だけを学び、中国人とはなにかということを学ばなかったのなら、太極拳の皮や毛ほども学ぶことはできないだろう」

突然の情報量に私は頭がフリーズしそうになりましたが、まさかそんなに厳しくて難しいことを今の私に諭すはずがないと思い直し、きっともっと優しい言葉に違いないと緊張を緩めようとすると、陳項老師はそれを感じ取られたのか、それまで聞いたことないような大きな声で、

「你明白吗? 连皮毛都学不到。 这一点儿皮毛都学!不!到!!」
(わかっているのか? 少しも学ぶことはできないんだ。この細くて微かな毛ほども学べないんだぞ!!)

と念を押されました。

予期せぬ叱責に不意を打たれて泣きそうになり、しかし叱責されるようなことをしたという身に覚えもないので、ショックと困惑で、どういう感情になったらいいのか分かりませんでした。

陳項老師は引き続き「中国文化を学んでも駄目だ、中国に関する本を読んでもまだ駄目だ、中国人とは何かを学ばないといけない」と私に言い続けるので、私は「老师,我知道了。老师,我……,知道了」(老師、わかりました。老師、……わかりました)と繰り返し、その日はどうやって帰ったか覚えていないくらいのショックを受けました。

しかし、旅館に帰って一人になると、なんだか理不尽なような気がしてきたのです。

「私はまだ北京に来て3か月しか経っていないし、中国語だっていま一生懸命勉強している真っ最中なのに、中国語や中国文化を飛び越えて、いきなり中国人を理解しろだなんて、無理難題だよ」

「そもそも、太極拳は世界の財産で人類共通の財産だって教わったもん。その境地に至るのに、どうしてわざわざ現代中国人を理解しなくちゃいけないの? 表面的なことすら学べないって極端じゃないの? そうだ、きっと私が何か気に入らないことをしたに違いない」

と疑念が渦巻いて止まらなくなりました。

折悪しく、この頃、小钱は「幼馴染の結婚式があるから、しばらく地方へ行ってくるね!」とだけ言い残して、北京を離れていました。当時の連絡手段はPHS電話(通称ピッチ)だったのですが、地方へ出てしまうと繋がりません。行く先も、いつ戻るかも分からないまま、相談できる相手もなく、私はしばらく、旅館から出られなくなりました。

一週間ほどして、とつぜんPHS電話が鳴り、「北京に戻ったよ!」という報告がありました。島国育ちの私からすると、片道に数日かかるような遠方に出かける用事は大旅行に匹敵する(と思う)のですが、大陸の中国人からすると「ちょっとそこまで」感覚らしいのです。

憔悴した姿で武館へ現れた私を見た小钱は、

「你怎么搞的! 怎么这个样子,我走的时候你还好好的!」
(どうしたのその姿! 僕が出かけた時はあんなに元気だったのに!)

と言うと、ヨロヨロしている私の肩をつかみ、食堂へ連れて行き、春雨入りの白菜と豆腐の鍋を注文してくれました。

おとなしく食べている私を見つめていた小钱は、静かに言いました。

「我不知道你以前在日本过的是什么日子。可是你要想开一点吧」
(君が日本でどんな生活を送ってきたか知らないけれど、もう気にしなくていいんじゃない)

思いがけず心の奥に触れられた気がして動揺した私は、鍋の湯気と涙でとてもみっともない顔になり、それを見た小钱は「泣かないで、泣かないで!」と慌てて、変顔をして私を笑わせようとしてくれました。

公園での陳項老師の言葉のことも話しました。小钱は難しい顔をして聞いていましたが、結局、どちらにしても中国語を学ぶしかない、ということだけは、二人の間ではっきりしました。

翌日は朝から武館に小籠包を大量に持ってきて、私に無理やり食べさせると「動物園に行こう!」と言って、仲間数人と北京動物園へ連れて行ってくれました。途中で白い孔雀を見かけた時、その姿があまりに美しかったので、足を止めて見とれてしまいました。いつまでも飽きずに見ていると「写真を撮ってあげるから、そろそろ次へ行こうよ」と小钱にせかされて、記念写真を一枚撮りました。

2004年12月北京動物園にて
2004年12月北京動物園にて

初出 2010年6月

つづく