REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

韓国へ、別れの旅

卜文徳老師のもとで

2006年9月。

一時帰国していた私は、実家の猫部屋で寝込んでいました。ある日、母は寝込んでいる私に、こう言いました。

「あんた、韓国に行ってきね! 気晴らししてきたらいいっちゃが! ついでにキムチの作り方も教えてもらってきてくれんけ?」

……

2006年9月19日。私は福岡空港から韓国の仁川空港行きの飛行機に乗りました。

たった1か月前にあんなに格好良く鄭州の太極拳館の前で二人を見送ったばかりなのに、こんなに塞ぎ込んだ姿に失望されるんじゃないかと不安になりましたが、仁川空港で出迎えてくれたジュアンとヘソの顔を見ると、本当に心配してくれていたことが分かりました。

グチャグチャだった私の髪を見るなり、二人は私を美容院へ連れて行き、中国の過酷な環境で傷んでいた髪を綺麗にしてくれました。そして、1か月ぶりに会ったジュアンはヘソを通じてこう言いました。

「ねぇ、メイダイヅ、今一番何がしてみたい? 僕らは中国でたくさんお世話になったから、何でも付き合うよ!」

私は朦朧とした意識のまま、しばらく考えて、こう答えました。

「うん、わたしね、太極拳と八卦掌を元気いっぱい練習したい……」

「あのね、武術以外の発想は浮かんでこないのかな?」

……浮かんできませんでした。

他にやりたいことなんて、一つも思い浮かばなかったのです。

ソウルのホテルに滞在していた私の話を、二人は一週間以上も交代で様子を見にきてくれて、話を聞いてくれました。私は、励まされるばかりでした。

ある日、気分が回復して観光スポットの南山タワーへ出かけると、そこはとても美しい建物と町並みで、日本人の留学生も多く見かけました。みんな綺麗な服を着て、楽しそうで、友人同士がおしゃべりをしながら一緒に歩いていました。

私はその様子を見て、羨ましく思いました。

(なんで、わたし、テコンドーを学ばなかったんだろう……)

と、突拍子もないことまで考えました。

私がなかなか元気になれずにいる間に、ジュアンはお母さんの体調が悪くなり、実家へ帰らなければならなくなりました。その後も、ヘソが最後まで私の話を聞いてくれました。

一週間以上が経った頃、引きこもっていたビジネスホテルでボーっと、韓国語で何を言っているのかわからないテレビ番組を観ていると、突然、テレビの画面から、中国の映像と中国語が眼と耳に入ってきました。

どの地域かはわかりませんでしたが、中国の厳しい環境で必死に生活をしている人たちの番組でした。その映像を観た瞬間、私はどうしようもなく懐かしい気持ちに襲われました。

(なんで? どうして? 韓国の方が清潔で、楽しくて、人も優しくて、良いことばかりなのに、どうして埃と排気ガスまみれの中国の生活が恋しくなったりするんだ!?)

理由なんてわかりません。

とにかく、突然「やる気」が復活したのです。

そして同時に、これで本当に、ジュアンとヘソとの“お別れ”になると思いました。

「私、河南省に戻るね!」

ヘソは、すでにわかっていたような顔をして、空港まで送ってくれました。

2006年10月4日。中国行きの飛行機に乗る前に、仁川空港でヘソに手を振りました。

その後、私たちは自然に連絡を取らなくなりました。

初出 2011年3月

 つづく