2007年、春節が近づく頃。私は、すでに気づいていました。私には卜文徳老師の八卦掌を習得することはできない……、と。
卜文徳老師は、天才です。河南省という武術の盛んな土地に生まれ、幼い頃から体も強く、色々な老師方に師事し、その天才的な直感と超人的な体力で武功を高められた方だと聞いていました。純粋な努力家で、武術界という枠にも囚われず、興味があれば『重量挙げ』の大会にも出場して優勝してしまったことがあるのだそうです。
それも、私が知り得る卜文徳老師の、ほんの一部分に過ぎません。
中国には「女人心,海底针(女性の心というものは、海に落とした針のように探ることが難しい)」という諺がありますが、私は「卜文徳老師の武功は、宇宙の果てを想像するよりも難しい」という諺を勝手に作ってしまうほど、暗礁に乗り上げていました。今、自分の目の前で心を尽くし指導をしてくださっている卜老師の“言わんとするところ”、つまり卜老師の武功の核心となる“それ”が、つかめないのです。
それに、もう一つありました。卜老師の八卦掌は、私が探している動きとは違うのです。
私には、学びたい八卦掌の具体的な動きのイメージがありました。去年の春、北京で小王に連れられて見に行った伝統武術の大会で見た、程派八卦掌です。まるで『龍』のように動くその八卦掌が、頭から離れませんでした。
私は朝から晩まで考え続けました。卜文徳老師に対して申し訳ない気持ちと、これからの自分の方向性について、練習をしている時以外はずっと考えていました。
卜老師のご自宅の前には、老舗の河南省名物である『烩面館』がありました。烩面(ホイ・ミエン)とは、羊スープの中に、“きしめん”のような麺と羊肉、春雨(粉絲)、麺状に切った硬い湯葉(千張)、香菜(パクチー)が入ったものです。練習の帰りによく寄っていましたが、食べながら、そして食べ終わってからも、私はずっと考えていました。

ふと、北京で中国語を教わっていた小钱(シャオ・チエン)の言葉を思い出しました。私の記憶力の高さや言葉への敏感さ、細部までこだわって完璧を求めるところを、中国では長所として受け止めてもらえるのだと、小钱は話してくれたのです。
「完璧は、中国語では『完美』っていうんだよ」
そういう特徴は、生きづらさにつながることもあるけれど、学びにはとても向いているのだ、と。
卜老師など、それはもう典型的な「超・完璧主義者」です。それに比べたら、私の“完璧主義指数”などまだまだ低いものです。
そして私は、自分で探すことにしました。
暇を見つけては鄭州市で一番大きな書店へ赴き、“八卦掌”と名のつくVCDを買い漁り(一枚200円くらいなので)、太極拳館で学生からマニアックな武術専門VCD店などの情報を聞きつけると、噛み付いたようにしつこく付きまとって連れて行ってもらったりしながら、とにかく八卦掌の映像を集めまくりました。
初出 2011年4月
つづく