REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

河南省を去る

武縁

2008年11月の終わり。華佗五禽戯を学ぶため安徽省に滞在していた私は、HSK(漢語水平考試)を受けに河南大学へ向かう前々日、急性腸炎になり、地元の病院に入院しました。

泊まっていた旅館で、毎朝起きてみると“ゴミ箱の中の果物の皮が床に散らばっている”というポルターガイスト現象が発生していたのですが、実はその犯人は毎晩出現していた3匹のネズミさんだったということが判明しました。しかし、なまじっか五禽戯という動物の動きを真似た気功を毎日学んでいたので、ネズミさんの通常なら有り得ないはずの接近状況にそれほど違和感を覚えず、「ああ、ネズミさんたちも余程お腹が空いているのだな、果物の皮じゃ空腹は癒せないだろうに、パンでも置いておこうかな」という程度の感想しかありませんでした。急性腸炎になって初めて(やっぱり、ネズミさんたちのせいだったのかなぁ……)と思いを巡らせながらタクシーで病院に運ばれると、その病院の名前がなんと『華佗医院』という大そうな名前だったので、死ぬかと思うくらい体調が悪かった私は、「な、なにっ! 華佗、華佗医師がいるのか! 神医と呼ばれるほど誉れ高き華佗医師に是非とも治療していただきたい!」と訳のわからないことを呟いていたらしく、その日は24時間で7本も点滴を打たれました。

付き添いで来てくれていた友人は、私が点滴を受けている間に「仕事があるから」と言って河南省に帰ってしまったので、その代わりに来てくれた別の友人に「明日のHSK試験は無理です」と伝えると、「せっかくのチャンスだから無理してでも受けたほうが良い」とスパルタなことを言われ、「病は気からだ、気分転換すれば病院にいるより回復が早いだろう」と、『華佗医院』からタクシーで10分ほどのところにあった亳州の有名な『花戯楼』に連れて行かれました。300年以上の歴史のある『花戯楼』は、当時寄席演芸の舞台だったらしく、レンガの透かし彫りの彫刻はとても美しく、生き生きと寄席演芸の様子を表現していたのですが、前の日に7本点滴を打ったばかりで、まだ熱があったので、精密な彫刻を見ていたら吐き気がしてきました。

「せっかくなんですが、もう本当に無理です」と友人に訴えた私は、「ネズミの出ない旅館を探してください」と伝えると、ヨロヨロとタクシーに乗り、旅館で3時間ほど休憩し、翌日のHSK試験のために、夕方には寝台列車に乗るべく駅に向かいました。

列車にはなんとか乗れたものの、点滴を打った後に食事を摂っていなかったので、耐え難い空腹感を覚えた私は、友人に「何か食べるものを調達してもらえませんか……」とお願いしました。「列車食堂は衛生的じゃないから、腸炎のあとに食べるのは危ないよ。インスタントのカップラーメンなら少なくとも細菌はいないと思うから、カップ麺を買ってきてあげるよ」と言われたので黙って頷くと、どうやら『康师傅(カンシーフ)』というメーカーの『红烧牛肉面(ホンシャオ・ニウロウミエン/牛肉の醤油煮込み麺)』しか売っていなかったらしく、私はげんなりしました。そのカップ麺は嫌いじゃなかったのですが、調味料が辛いのです。元々辛い食べ物が苦手な上に、かなり深刻な腸炎だったので、そんな時に辛いものを食べたらお腹が破壊されてしまうと思い、調味料を一切入れずにお湯だけで麺をふやかすと、「ずるずる〜」と食べました。

もう生きているだけで精一杯なのに、翌日は中国語の試験があるのです。(受けるだけ受けて、結果はどうでもいいや)という心境で翌日の朝『河南大学』に到着すると、お腹もちょっと落ち着いてきたので、近くの食堂でお粥を食べて試験に臨みました。試験が始まると、思いのほか集中できました。(嗚呼、いつもの“本番に強い”という潜在能力が出てきたのか、この感触だと合格間違いなしだな)と思いながら試験を終えると、すっかり気分が良くなっていました。

しかし、試験を終えた時の元気は続かず、鄭州の自宅のアパートに帰った後、三日三晩寝込みました。

体調の悪さと、本来やらなければならないはずの八卦掌の練習に全然取り組めない状態に、それからしばらく、私は酷く情緒不安定になりました。自分の置かれている状況と、これからどう行動すべきかが判断できず、心は焦るばかりで、焦れば焦るほど追い詰められ、苦しくて苦しくて、部屋で一人で泣いたりしていました。

北京にご在住の麻林城老師に久しく連絡をとっていなかったので、疎遠になってしまったのではないかと不安が募っていたのですが、練習をしていないので、怖くて電話を掛けられないのです。過去何度となく電話を掛けては麻林城老師に叱られてばかりいたので、心がすっかり萎縮してしまっていて、練習をしようとしても、辛くて辛くて、涙が出てくるのです。一体全体、私は好きでこの道を選んだのか、それとも逃げてこの道を選んだのか、自分でもわからなくなりました。

(なんとか練習ができる状態に戻りたい……)

歯を食いしばりながら部屋で泣き続け、それだけを思いました。友人に「本当に八卦掌が好きなの? 好きじゃないから練習したくないんじゃないの?」と言われ、深く傷ついたりもしました。

私は河南省に、馴染んでいたのです。友人もできました。結果も出せました。日本にいる頃に比べたら、格段に体も強くなりました。生まれて初めて、河南省という土地で、自分の居場所を見つけたのです。留学生という一時的な状態ではありましたが、私にとって生まれて初めて手に入れた、居心地の良い場所だったのです。その場所を、離れたくなかったのです。

ある日、私は当てもなくポツポツと街を歩いていました。気がつくと、数え切れないほど通った公園に向かっていました。公園の端にある竹園の一角は人が少ないので、竹に囲まれた小道をぐるぐると歩きながら考えました。

サラサラと風に吹かれて囁く笹の葉の音を聞いた時、やっと決意できました。

(河南省を去ろう。北京へゆこう。また一人ぼっちになってしまう。今度は武館もない、ほとんどの時間を自分一人だけで練習しなければならない。でも、麻林城老師の八卦掌を学ぼう。その先どうなるかわからないけど、ゆこう!)

決めてから北京へ移るまで、二週間ほどのことでした。

初出 2011年9月

つづく

続きは、ただいま改稿中です。できあがった回から順に公開します。