2007年12月中旬、北京に着いた朝。練習場所となる公園の近くに旅館を見つけると、私は荷物を置いて、麻林城老師と共に公園の入り口にあった『阳阳小吃(ヤンヤン・シャオチー)』という飲食チェーン店に向かい、朝食をとりました。麻林城老師は「ここは清潔で値段も安いから、食事はここで済ませるといい」と仰ってくださり、私は熱々の素菜包子(スーツァイ・バオズ/野菜まん)を緊張と共に喉に流し込みながら、「麻林城老師、色々とご配慮くださって、ありがとうございます!」と申し上げました。
指導を受ける前に、私は麻林城老師に、自分が虚弱体質であることと、これまでの練習で右アキレス腱と右股関節を痛めていることを伝えました。麻林城老師は私の足を見ると「いま習得している八卦掌の動きを行ってみなさい」と仰ったので、言われたとおり動きを見ていただくと、「何の問題もない」と仰いました。
河南省での鍛錬で身体を壊した経験があったので、私は「麻林城老師、私はもう31歳になります。激しい鍛錬はおそらくできないと思います。心身を健やかにできるような練習がしたいと思っています」と正直に話しました。
麻林城老師は、こう仰いました。
「八卦掌は武術である。その武術性を失っては、高い健康効果を得ることなどできない。武術性、体の健康、心の修行、これらは本来一つのものであって、分けることなどできない」
麻林城老師の口調は明晰で穏やかでした。私は黙って、麻林城老師の指導法に従うことに決めました。
練習場所の公園の池には氷が張っていて、その上を吹いてくる氷点下の寒風は骨を刺しましたが、初めて受ける八卦掌の練功法は、その一つ一つが、宝石のように私の体の中で輝きました。特につま先を内に入れる扣步(コウ・ブー)と、つま先を外に開く摆步(バイ・ブー)は衝撃でした。
(ああ、やっぱり、やっぱり、そうだったんだっ!)
ずっと体の奥に押さえ込んでいた不自由感が、解放されたような気がしました。
卜老師が「影さえ踏めぬ」と言っていた八卦掌を、麻林城老師は「影さえ見えぬ」と言っていました。
そして、初めて麻林城老師の八卦掌の動きを肉眼で見ることができたその時……、私の心と体は歓喜で震えました。とても人間の動きとは思えない、まさに「地に舞い降りた龍」のようでした。空間が、時間が、麻林城老師と共に動き、変化していました。その生き生きとした躍動感、変幻自在、伸縮自在、千変万化、そして無数に展開される螺旋の動き……。眩暈がしました。直視しようとすると、平衡感覚が狂いそうになりました。残像が見えるのです。ただ高速で動いているのではないことは、私にもわかりました。麻林城老師は時空と共に変化し、それと同時に絶対的な静寂を宿していました。
その動きも、その時の嬉しさも、言葉にはできませんでした。
指導は氷点下の冬空の下、毎朝4時間に及ぶものでした。しかし不思議なことに、古傷のアキレス腱も股関節も、まったく痛みは生じませんでした。むしろ全身の歪みが整っていく感覚を覚えました。
ただ重心を移しながら歩くことが、こんなに素晴らしいことだったなんて!
その喜びの中で、私は麻林城老師に、ある申し出をしました。
「麻老師、私は日本に帰国して、麻老師の八卦掌を研究する『研究会』を発足したいと思います。初めは5〜6名ほどしか人は集まらないかもしれません。しかし、きっと本当に学びたい人たちが、少しずつ集まってくると思います」
麻林城老師は、その場では何も仰らず、ただ黙って私の話を聞いておられました。その後、麻林城老師は研究会の名称を考えてくださいました。
『日本中国伝統功夫研究会』
私は、やっと自分が歩んでいける道の入り口に立てたと思い、心から満足していました。そして、これからは日本に帰って、慣れ親しんだ自国で体と心を癒しながら、志を同じくする仲間と麻林城老師の八卦掌を研究し、定期的に北京に通いながら教えをいただこうと思っていたのです。
2007年12月22日、北京市の郊外で麻林城老師に八卦掌をご指導いただいていたその頃、河南省の通訳の裴さんから連絡がありました。
「程(チェン)さんが亡くなった」
程さんは、北京で故宮を案内してくれた冬東(トントン)のお父さんで、卜文徳老師の親戚でもあり、河南省に来てから何かとお世話になった恩人でした。私は頭の中が真っ白になりました。
私は麻林城老師に事情を伝え、程さんの葬儀に参列するため、翌日の12月23日に河南省へ戻りました。
葬儀には、程さんの生前の人柄を偲んでたくさんの人たちが参列していました。親友だった裴さんは気丈に振舞っていましたが、最後に程さんにお別れを告げる時、本当にまたすぐに会えるような口調で「好走(ハオゾウ/気をつけて行っておいで)」と声を掛けている姿が、痛々しく感じました。
家族のため、会社のため、一生懸命に働いた程さんは、過労だったと聞きました。日本に留学していた頃の経験を生かして、昼休みも取らず、連日出張を重ねて働いていた程さんのことを、親戚の方々は「日本に行ったから仕事人間になってしまった、可哀想なことをした」と囁いていて、私はとても申し訳ない気持ちになりました。
身近な人の死を目の当たりにして、私は改めて「人間はいつか死ぬのだ」と思いました。それは明日かもしれない、30年後かもしれない、もしかしたら今日かもしれない……。急に時間が手のひらからこぼれ落ちていくような、身のすくむような怖さを感じました。
葬儀のあと、私は鄭州市内の自宅に戻りましたが、いざ日本に帰る準備を始めてみると、まだやり残したことがたくさんあるような気がしてきました。『日本中国伝統功夫研究会』のWEBサイトは、中国にいても作れます。中国の文化や思想、武術の理論についても、もっと学んでおきたいと思いました。それに、3年以上河南省にいながら、まだ見ていないもの、行っていない場所がたくさんあったのです。
(帰国することはいつでもできる。もう歩むべき道は見つかったのだから、慌てて帰国することはないじゃないか。ちゃんと準備をしてから日本に帰ろう!)
私は中国留学の終了を延期して、麻林城老師から教わった八卦掌の基本功に取り組みながら、河南省で『日本中国伝統功夫研究会』のWEBサイト作りを始めました。
初出 2011年6月
つづく