2008年10月17日の早朝、私は河北省の邯鄲市で開かれる『中国邯鄲第十一届国際太極拳運動大会』に出場するため、鄭州駅で、団長の元社交ダンサーのおじさん、16歳の許くん、24歳の呉さんと待ち合わせをして、一緒に列車に乗りました。河南省の太極拳館からの参加は、この4人だけでした。
前の日から、微熱がありました。団長に「ちょっと風邪ぎみみたいです」と報告すると、「なんて不注意な、風邪を引いたら途端に力が発揮できないじゃないか」と叱られました。
数時間列車に揺られて邯鄲市に着いた頃には、いよいよ熱が本格的に上がってきました。(倒れるかもしれない)と思ったのですが、食事の時間や、会場の床やマットの状態を見ておく時間が決められていたので、飛ばすわけにはいきません。仲間の背中を見ながら、朦朧とした意識で一連の作業を済ませました。
夜には盛大な開幕式があるので、私は選手村の中庭に練習に行った仲間と別れて、早めに自分の部屋に入り、ベッドに横になりました。目を瞑ってしばらくすると、ルームメイトらしき広東省訛りのおばさんが、やんややんやと独り言を言いながら部屋に入ってきました。私が挨拶をすると、おばさんは荷物を手際よく解き、「風邪なら一人でゆっくり休んだほうがいいわよ」と気を使って、また出かけていってくれました。
2時間ほど休むと少し楽になったので、中庭で練習をしている仲間と合流して夕食を食べ、団ごとに時間を指定されているバスに乗り込んで、いよいよ開幕式に向かいました。開幕式は想像していたよりもずっと盛大で、選手として行進していると、風邪なんて忘れてしまいました。
写真を撮ったり、いろいろな流派の太極拳の団体を見ていると、一人の青年に声をかけられました。
「こんにちは、あなたは日本人の方ですか。僕は日本語を勉強しています。来年日本に留学することになっています」
急に日本語で話しかけられて面食らった私が、思わず中国語で受け答えをしてしまうと、「中国語がとても上手ですね、良かったら記念写真を撮ってください」と言われたので、一緒に写真を撮りました。彼の名は辛林林(シン・リンリン)さんといいました。
行進を終えると、また急に具合が悪くなってきました。翌日の競技に向けて仲間と別れ、早めにホテルに戻って休むことにしたのですが、部屋の中を蚊が飛んでいて、耳元の羽音でなかなか眠れませんでした。
翌日の結果は、陳式太極拳競技用套路56式は成績なし、陳式太極単剣は二等賞でした。団長と許くんと呉さんも厳しい採点を受けましたが、それでも良い成績を収めていました。
この大会には、私が中国で最初に留学した北京の『志強武館』の創立者、馮志強老師も主賓として招かれていました。遠くからそのお姿を見ながら、私は、志強武館から始まった4年間のことを思い出していました。
後日談
辛林林さんは、結局日本には留学せず、中国で太極拳の教練になりました。
初出 2011年9月
つづく