2006年10月の終わり。
先の伝統武術大会終了後、気持ちを新しくするために私は、一か月ほど日本へ戻り、千葉で読売新聞の取材を受けました。
12月、鄭州へ戻ると、冬で夜明けが遅くなっていて、卜老師の早朝練習は量が減り、その分だけ午後の“鬼指導”がボリューム・アップしていました。それでも救われたのは、6月に私が日本から戻った時にはすでに卜老師のもとで練習していた、私と同い年の弟子見習い、小路(シィァオ・ルー)がいたことです。
彼は軍隊に10年間もいたそうです。退隊後、身の振り方に悩んだ末に出した結論が、「中国伝統武術を習得し、カナダへ移住して、海外で中国伝統文化を継承していく!」というものだったのです。
小路は朝から晩まで『卜氏八卦掌』の特訓をしていました。では、移住の手続きや通訳といった条件はどう整えるのかというと、奥様が賄うということらしいのです。
(10年間も軍隊にいて、退隊して間もないし、一般社会にも馴染めないと言っているのに、どうやって結婚相手を探したんだろう? やっぱり、許婚とか、お見合いとか、かな?)
同い年なのにまだ未婚の私は、好奇心から小路に奥様との“馴れ初め”を尋ねてみました。すると、なんとインターネットで知り合ったのだそうです。彼の雷神のような勇ましい容貌と、インターネットで知り合った女性と結婚するという現代風のイメージとのギャップがあまりにも大きくて、私は驚きました。
そして、驚いたのはそれだけではありません。小路の八卦掌の練習の様子が、まるで映画『スター・ウォーズ』シリーズの『R2-D2』(ロボット)のようだったのです。
(『R2-D2』だ! 『R2-D2』八卦掌だ!)
そう言えば、韓国の友人たちに聞いた話を思い出しました。2年間の徴兵から帰ってくると、しばらくはラーメンを食べるのも“カクカク”した動きになるのだそうです。ラーメンを、まずまっすぐ垂直に持ち上げて、それから水平に口へ運ぶ(本当らしいです)。小路は10年間も軍隊にいたのですから、その四角四面ぶりといったら、歩いているだけで「ウィ〜ン、ガチャン」という、聴こえるはずのない音が聴こえてくるほどでした。
しかし、さすがは軍隊で鍛え上げられた精神力と体力です。彼は休むことなく大量の練習をこなし、卜老師も小路に向かって、「練習熱心で、結構、結構……。少々“不顺畅(ブー・シュンチャン/スムーズではない)”じゃが、練習の量をこなせば柔軟になってくるじゃろう」と指導されていました。
かくいう私は、ひょろひょろ・ひょろひょろと、うまく脱皮できなくて“もんどり打っている”小蛇のような動きで、無尽蔵に体力のある小路を横目に、必死に八卦掌の練習に取り組んでいました。
そんな両極端な私と小路でしたが、年齢が同じという以外にも、もう一つ共通点がありました。お互い母子家庭で育った、ということです。ある日の午後、卜老師が急用で出かけられた時に、小路は私に向かってこう言いました。
「片親で育ったら内向的な性格になるんだよ、メイダイヅもそうだろ。だから結婚相手は明るくて、天真爛漫で、でも繊細な気遣いができて、包容力がある人じゃないとダメだ。絶対にそういう人じゃなきゃダメなんだよ、いいかい、わかったかい、そういう男を見つけなきゃ、君はダメだね……」
中国では、お天気の話でもするように婚姻の話をします。30歳の女性が結婚もせず、一人暮らしで武術の鍛錬に明け暮れているという状況は、周りから見ればよほど珍しかったのだと思います。小路は、新婚ホヤホヤで気分が高揚しているのか、元からそういう性格なのか、ことあるごとに私の結婚相手について「あーでもない、こーでもない」と議論をふっかけてくるので、私は閉口しました。
ある日、たまりかねた私が「小路は良い奥さんを見つけたんだね。小路は女性を見る目があるんだね!」と言った瞬間、小路は突然、雷神のような容貌を豹変させ、それはそれはデレデレと、奥様のノロケ話を延々と始めたのです。
(い、意外な反応!)
(ってゆーか、ノロケ話をしている時の小路って“カクカク”してない!)
小路と私は、どちらも紆余曲折を経て、社会人としてではなく、一人の「習武的人(シー・ウー・ダ・レン/武術を習う者)」として、ここで出会いました。
お互い遠慮なく話ができる、よき練習仲間でした。
後日談
2006年11月16日付の読売新聞には、この帰国の間に、私が館山市のコミュニティセンターで約20人の生徒の前で模範演技をし、首都圏の太極拳教室でも演武をした、とあります。
初出 2011年4月
つづく