2008年5月下旬、河南省で過ごす4度目の夏が始まりました。気温40度を超える河南省の夏は、5月下旬から始まります。
私は麻林城老師に命名していただいた『日本中国伝統功夫研究会』のサイト作りに苦戦していましたが、没頭すると寝食を忘れる私の性格を知っていてくれる、取材で知り合ったカメラマンや、ヨガ・センターで友達になった小朱に食事に呼び出されて、何とか食べることを忘れずに過ごしていました。
ある日、当時河南省鄭州市で流行っていた「ブランコ食堂」(椅子がブランコになっている)に連れて行ってもらったのですが、ブランコが前後に揺れるので非常に食べづらく、食事が終わってから、友人と笑ってしまったことがありました。
北京にご在住の麻林城老師からは「練功において何か疑問があれば、いつでも電話をしてきなさい」と言われていたのですが、一生懸命質問を考えて電話をしても、「そんな質問しかできないのか? まったく伝統武術をわかっていない質問だ」と叱られるので、徐々に心が萎縮していました。それまでの中国留学では、肉体的に厳しく指導していただいたことはあったのですが、精神や思想に対して厳しく教わったことがなかったのです。麻林城老師に電話を掛けるたびに電話越しに叱られて酷く落ち込んでいたのですが、老師は具体的に何が悪いのかを教えてはくださらないので、延々と一人で考え続けなければなりませんでした。
私は何度も、老師のいらっしゃる北京に行ってしまおうか、と思ったのですが、まだ河南省を離れる決心がつかず、パソコンに噛り付いては『日本中国伝統功夫研究会』のサイト制作に没頭してみたり、煮詰まって太極拳館に行って練習をしてみたり、カップルだらけの夜の公園で八卦掌の練習をしてみたり、ソワソワと落ち着かない日々を送っていました。
その頃、太極拳館では児童班(キッズ・クラス)が開講されていて、友人の教練が指導を担当していたので、私も子供たちに混ぜてもらい、太極剣や中国武術の基本功を練習して気晴らしをしていました。そのキッズ・クラスの中に可愛い女の子がいて、2人でじゃれ合ったりしていると、教練に「こら! そこの2人! 遊んでると居残り特訓だぞ!」と叱られたりしていました。
河南省、4度目の夏は静かに過ぎていきました。何匹かお腹を壊した野良猫を介抱して動物病院に連れて行きましたが、獣医さんに「残飯を食べて食中毒になって衰弱した猫は治療方法がないんだよ、その仔の生命力に頼るしかない」と言われました。私は一匹目の猫の死に直面した時ほど取り乱さなくなり、命が終わるまで見守ることにも少しずつ慣れましたが、やっぱり涙はこぼれました。
その頃、太極拳館の表演隊の隊員に、はっきりと言われました。
「メイダイヅはもう、一般の教室で教えられることはない。誰かに師事しないと、学費と時間の無駄だ」
それまでにも似たようなことをちらほら言われていましたが、面と向かって言われたのは初めてだったので、戸惑いましたし、老師に師事するということは一生かけて学ぶ決意をするということなので、簡単には決められないし、まだ迷いなく心からそう思える老師には出会っていないと思いました。
北京へ行こう、と何度も思いましたが、それは3年かけてやっと馴染んだ土地を離れて、もう一度ゼロから始めるということです。北京へ移れば、一人で生活をしながら、黙々と八卦掌を練功する日々になるだろうし、一人で練功を続けることの難しさを、春節の期間に何度か経験していたので、なかなか決心がつきませんでした。
でも、もう少し、もう少し河南省にいたい。
初出 2011年8月
つづく