2006年8月、韓国の友人たち、ジュアンとヘソが帰国する前夜。
私はいつものように、午後は卜文徳老師のご自宅前の駐車場へ練習に行き、それが終わってから、二人の寮の近くで行きつけの飲食店へ、最後の食事に行きました。
妙にはしゃいでいて、翌日の別れの話はしませんでした。
初めてビールを酌み交わして、たくさん笑って、大会の成績を喜んで、将来の希望を語り合いました。
ジュアンは「将来、僕が武館を持ったら、メイダイヅ(私の中国語読み)を八卦掌の先生として韓国に招待するよ」と言ってくれ、ヘソは「韓国に来たら、中国とはまた違うよ。みーちゃん(私の幼名)は太極拳の学生に歓迎されるよ」と言ってくれました。
韓国では太極拳が若い人たちの間で流行っていて、武館は若者ばかりだと二人は言いました。八卦掌は、韓国ではめずらしいのだそうです。
私は胸の奥が熱くなって、明日の朝に別れてしまうことが嘘のように感じて、きっと明日も一緒に午前は太極拳館、そして3人で昼食を食べて、午後の休憩にまたアイスコーヒーの氷を持って行ってあげて、午後はまたそれぞれの時間。ジュアンは太極拳館で授業、私は卜文徳老師のもとで八卦掌の練習、ヘソは寮で小説を書いて、それが終わったらまた3人で夕食を食べて…
そんな時間がもう二度と来ないことへの実感が湧いてきませんでした。
3人で切磋琢磨した2か月間、私は何度も反日感情の愚痴をこぼしました。二人は最初は何も言いませんでしたが、私があまりに繰り返し言ってしまうので、とうとう「……ごめんね。韓国も反日感情はすごく強いよ」と、正直に教えてくれました。「だから辛いのはここだけじゃない」と私に告げた二人が最後に私に言ってくれた「八卦掌の先生になれば、韓国で歓迎されるよ」という言葉は、嬉しかったこと以上に「頑張れば認めてもらえる」という希望を感じました。
私は、日本で秋に予定されていた表演会の話をして、私も凱旋出場するように言われていると言うと、二人は「できたら僕たちも参加したいな」と言いました。
私は、急に未来が明るく開かれたような気がしました。
「……いつかきっと行くよ、ジュアンと一緒に、日本へ。」
ヘソが、帰り際にそう呟いていました。
翌朝、二人は太極拳館に帰国の挨拶に向かい、私も手続きの通訳係として同行しました。
すべての用事を終え、鄭州空港へ向かうために大通りに出ると、あっという間に一台のタクシーが私たちの前に止まってしまい(これが別れの瞬間か)と私が凍りついてしまうと、ジュアンが巨大なリュックを背負った様相に似合わず、顔をグシャグシャにして泣き出してしまいました。ヘソは、また明日すぐ会えるような優しい顔で、ただ笑ってジュアンの肩を抱いていました。
私は胸が張り裂けそうになりましたが、いつものように元気なふりをしました。
「ほらほら2人とも、はやくタクシーに乗らないと飛行機に間に合わなくなるよ! 乗って乗って!」
ヘソは、ほとんど嗚咽しそうなほど泣きじゃくっているジュアンの肩を抱いたまま、タクシーに乗り込み、そして、少し眼を潤ませながら私に言いました。
「頑張れ! みーちゃん、負けるな! 僕たちは韓国から応援してるよ!」
手を振って、タクシーはそのまま行ってしまいました。
私は、泣きませんでした。
明日からまた練習をしなければなりません。そのために、ご飯を食べなければなりません。だから行きつけの飲食店に行きました。
お昼ご飯を注文して、一人で全部食べました。
食べながら、気がついたら泣いていました。店員さんに気づかれないように、下を向いて、ボタボタご飯に涙を落としながら、全部食べました。
向かい側にいつも座っていた、ジュアンも、ヘソも、もういません。
夏は終わったのです。
初出 2011年3月
つづく