REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

繋がらなかった縁

卜文徳老師のもとで

2006年9月。

同志とも呼べる友人たちとの別れに、私は想像していた以上の大打撃を受けていました。

3人で挑んだ大会で獲得した金メダルは自宅の壁に掛けていましたが、二人が韓国へ帰国して3日後にはクローゼットの見えない場所に放り込んでしまいました。

メダルを見ると、3人で切磋琢磨した日々を思い出して辛かったからです。

唯一の再会の可能性だった、日本の秋の表演会へ参加できないかという3人の希望を、主催者である日本の先生に伝えましたが、答えは曖昧で、はいとも、いいえとも、返事は返ってきませんでした。

とにかく凱旋帰国だけはするようにと言われたので、答えが宙に浮いたまま、私は一時帰国することにしました。

卜文徳老師に「金メダルを取ったので、日本に成果を見せに帰らなければならなくなりました」と伝えると、卜老師は喜んでくださり「しっかり演武するように。派遣学生としての任務を全うするように」とおっしゃってくださいました。

その言葉が初めて誇りに思えて、私は少しだけ帰国する勇気と再会の希望が湧いてきました。

2006年9月13日。荷造りの時、悩みに悩んだ末、「これも自分の努力の証だ」と思って、金メダルを入れたスーツケースを転がして、私は北京空港から福岡空港行きの飛行機に乗り、実家のある宮崎へ帰りました。

実家から、表演会の打ち合わせで先生に何度も電話をすると、なぜか韓国の男性たちと仲良くしていたら周りにどう見られるか、という内容に変わっていました。

私は「そんなことあるはずがありません。私は派遣されている立場として、精一杯武術交流をしてきました。そんな目で見られるわけがありません」と強く訴えました。

自分の国で悩みを抱え、そして太極拳に希望を感じ、河南省の地で出会い、切磋琢磨した日々が、同じく太極拳を学ぶ仲間たちに否定されるわけがないと思ったのです。

それでも先生の返事が変わらないので、ヘソに国際電話で連絡をすると、私の迷惑になるなら、日本の先生に挨拶だけでもいい、表演はしなくていい、見学だけでもいい、どのように太極拳を指導されているのか一言聞けるだけでもいい、と言っていました。

二人は、太極拳館にいるときに、何度も私の太極拳の雰囲気は他では見たことがない、見ていると自然と心が落ち着くと言って高く評価してくれていたのです。

私はどうしても、人生を賭けて目標を追えば、本当の仲間に出会えるということを証明したくて、何度も先生に懇願しました。けれど、人目を気にしなさい、という言葉しかなく、納得できる答えは返ってきませんでした。

その時、私は初めて、日本の先生とは考え方が違うことを、はっきり伝えました。

そして、これからは、自分の頭で考え、自分の目で選んでいくと、そう伝えました。

結局、私たち3人で参加する話は、実現しませんでした。

ジュアンもヘソも、諦めずに日本に向かうために休暇を取ってくれていましたが、最後は、僕たちよりも先生を大切にした方がいいと言って、休暇はキャンセルになりました。

それから、私は食事が喉を通らなくなり、人の言葉にもうまく反応できなくなりました。

実家では、かつて私が使っていた部屋が、猫たちの部屋になっていました。私はその『猫部屋』で、毎日猫たちと一緒に寝たきりになりました。母がうどんを作ってくれましたが、一杯を食べ終わるのに難儀しました。

唯一、相談に乗ってくれていた日本の太極拳の友人は「武術に打ち込んだらいい」と、何度も言ってくれましたが、私は予定していた秋の表演会には出られませんでした。

初出 2011年3月

 つづく