REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

ヨガと武術のあいだで

師を探して

2007年10月中旬。河南省で、私はヨガと中国武術の間を行き来していました。

麻林城老師には「8月以降に連絡して下さい」と仰って頂いていました。しかし、また断られてしまったらと思うと、なかなか電話を掛けられませんでした。

私はしばらく心身を整えるため、ヨガ・センターに通いながら、太極拳館へは行かず、公園で自分なりの工夫をした太極拳と気功の練習に取り組むことにしました。

ところが、ヨガ・センターで過ごす時間が増えるにつれて、私の心はまた迷い始めたのです。どう考えても、武術よりヨガの方が自分に合っているとしか思えないのです。

河南省鄭州市のヨガ・センターで、窓の前でヨガのポーズをとる横山春光のシルエット
河南省鄭州市のヨガ・センターにて

インドの先生は、母国語以外は英語しか話せません。必死に先生の言葉を理解したいという執念から、私はわずか1か月ほどで、簡単なコミュニケーションがとれるようになりました。

10月の終わりには、インドの先生方と共に、鄭州国際会展中心でのヨガのイベントに出場し、河南省の『河南商報』という新聞社の取材や、河南電視台(テレビ局)の取材も受けました。

そのあとのある日、インドの先生はこうおっしゃいました。

「あなたは、もうポーズの練習を行ってはいけない。体は歳月と共に衰えていく、でも魂は歳月と共に成長していくことができる。ポーズの練習をやめて瞑想をしなさい」

そしてまた、こうおっしゃいました。

「もしあなたが真理の世界に触れたとしても、それを言葉にして表現してはいけません。それは微笑と共に、祈りの歌と共に、世界を優しく振動させるのです」

ヨガのポーズを禁じられた私は、素直に自宅で瞑想することにしました。そして残りの時間は、公園で太極拳や剣や気功の練習をしました。

11月を迎えても、私は迷っていました。

この頃、私の周りには様々な流れが渦巻いていました。日本から中国伝統武術を学びに来た横山春光というメディアのイメージ。麻林城老師の八卦掌という可能性。そして、ヨガの瞑想法による解放の世界。

私はそれらの選択肢に、恐ろしさすら感じるほど、迷いに迷っていました。

陳家溝太極拳館で、練習する子供たちの奥の窓辺に立ち、外を眺める横山春光
陳家溝太極拳館の窓辺で

初出 2011年6月

つづく