2006年の秋から2007年の終わりまで。第五部は、探し続けた一年でした。
第四部の終わりに、これからは自分の頭で考え、自分の目で選ぶと決めました。ところが、選んだ先に、道がありませんでした。武館では、「もう一般の教室で教えられることはない。誰かに師事した方がいい」というようなことを、ちらほら言われ始めていました。
女性で、外国人で、大人になってから始めて、陳式太極拳をここまでできたら上等だ。そう言われれば、そうだったのだと思います。剣は得意でした。それでも、満足できませんでした。目指していたものは、もっと先にありましたし、そのために手放してきたものが、あまりに多く、あまりに大きかったからです。
陳式太極拳の老架一路は、柔らかさを主にした套路で、体にとてもよく、日本で教えるための力は、もう身についていました。けれど、発勁動作(力を一瞬で爆発させる動作)になると、私の体格では、どうしても迫力が出ません。憧れていた年会(太極拳館が2年に一度ひらく大会。「陳式太極拳四天王 陳小旺老師」の回)での出来事のあとは、メダルを目指す気持ちも、すっかり薄れていました。仕事としての力はあっても、私は、まだ目指したかったのです。体格のハンディを超えられるのは、もっと柔らかい程派八卦掌だと、思うようになっていました。
そして、つらいことが多かったからこそ、自分だけは自分を大切にしよう、と決めた一年でもありました。
2007年の12月、麻林城老師のもとへ向かいます。第六部は、そこから始まります。